柴垣節子ー音楽のBlog

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私のハンガリー音楽留学。トンデモ!な経緯と、その後♪

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音楽教育、指導法、理論系、一見難しそうに見えることが好きで得意な音楽家です。ヴァイオリン、ヴィオラ、ピアノを弾き、歌います^^♪ 音大卒業後、不思議なご縁で 1年間、ハンガリーに給費留学。 音楽の全てを 根本から鍛え直し、素晴らしい音楽教育法も学びました。 帰国後、結婚 子育てしながら、合奏団やオーケストラで演奏活動。 自宅の生徒さんたちには、それまで学んできた知識、教育法を 生徒さんひとりひとりに合わせてアレンジ、個性を大切に教えてきました。 1999年に急性心筋梗塞で 一時、音楽活動を休みましたが、2001年から再開。 07年に結成した女性4名の演奏ユニット「LIEBE(リーベ)」の ヴァイオリン奏者として、介護、福祉、医療の現場へ訪問演奏、チャリティコンサートの企画、実施。幼児連れのママ向けコンサート、近年は高齢、認知症、障がいのある方たち向けの音楽プログラムの選曲、時短練習法など、経験に基づいた オリジナルな方法をご紹介します。
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よく聞かれること。なぜハンガリーに行ったの?

 

私、どらみは、日本の音楽大学を卒業後、不思議なご縁でハンガリー文化省・日本ハンガリー友好協会からの初の奨学生のひとりとして、一年間、ハンガリーに音楽留学する機会を得ました。と、書くと、何となくカッコよく聴こえる!?

なぜ ハンガリーに行くことになったの? よく質問されます(^^;)
奨学金の申し込み用紙をもらいにいった、当時の文部省(文科省)のお役人にまで、「え? ハンガリー?????」と、少々怪訝な目で見られ、
用紙を探すのに手間取られました(苦笑)
が、奨学金試験の外国語(私は英語)面接は、かなり倍率高く緊張しましたよ。

実は・・・恩師から大学3年次に直々にお話があり、母校中学で教職につくことになっていたのです。 ところが大学4年の夏も終わる頃、学校側の事情で、突然就職がボツ!(*_*; その日、どうやって先生と話した新宿から実家へ帰りついたかもよく覚えていないくらい アタマが真っ白!!!!!

けれど・・・その先生から手渡された、一枚の英文リーフレットが きっかけになり、もちろん自分でも情報集めなど、必死に動きましたが、そこから留学の道が開けたのでした。^^;)そう、就職と引き換えに・・
人生何がどう転ぶかわかりませんね~!

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11歳の夏に、国際こども村(CISV)という、いろんな国の同い年の子供達が、国籍、宗教、言語、目や肌の色・・全く関係なく、ひと夏、同じ釜の飯を食べる、遊ぶ・・という共同生活に参加して、スウェーデンの田舎町で一カ月過ごしたことはあったので、外国に行くことに抵抗はなかったです。

けれど当時のハンガリーは 未だ「東欧」「社会主義国」と呼ばれていた国。存命していた父の仕事の「つて」で、現地の商社の方を ひとり紹介していただきましたが、その方とも日本で会う機会はなく・・現地で迎えてくれたのは、商社の社員で英語話すけれどハンガリー人。すべて 初めてのことばかり!
知り合いもいない、日本人学生も 結局 その年は私ひとりだけ。
そんな環境へ 一人で思い切って飛び込めたのも、こわいもの知らず、若さゆえかもしれませんね!

私の学んだ 武蔵野音楽大学では、最初の2年間、音楽教育科(ヴァイオリン専攻)に在籍していたこともあり、オルフシューレ、と呼ばれる、カール・オルフを中心に考案、実践されていた、ドイツの音楽教育授業が毎週ありました。
言葉によるリズムや身体表現、打楽器の練習は厳しかったけれど、「オルフ楽器」と呼ばれる、世界の楽器を教育用に改良した楽器のアンサンブルなど、独自の音楽教育は、なかなか楽しいものでした。

(↓ は かつて教えていた生徒さん、生徒さんのご両親にも使ってもらった、オルフ楽器の一部。今は 銀色のメタルフォン(鉄琴)ひとつと小さな打楽器いくつかだけ残して、親友の仕事に使ってもらっています)
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一方、第二次大戦後 中央ヨーロッパの小国となったハンガリーに、「コダーイ・システム」と呼ばれる、すぐれた音楽教育がある、ということは、教科書にも載っていて、授業で『知識』として知っていましたが、しょせん それだけ。

しかし実際に現地へ行き、海外、さまざまな国からの留学生と一緒に学んだ、ハンガリーの音楽教育は、2~3歳の幼児から、徐々に集団生活する保育園、幼稚園、そして小学校以降、ハイスクール・・と、非常に細かく体系立てられていました。
かつ演奏に関しても優秀な音楽家の先生方が、絶えず 生徒たちの様子を見ながら、45-50分の毎回の授業組み立て方、成果も細かく検証しては、カリキュラム全体の流れも見直す。日々改善を繰り返し、素晴らしい!

授業レベルの高さ、小さい生徒たちの透き通った綺麗な声。アカペラコーラス。
驚きの連続!
(↓ 写真は バルトーク・アカデミー。リスト音楽院(音楽大学)の前段階、日本でいえば、国立の音楽専門高校といったところ)

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音楽に特に力を入れている学校が全国にあり、普通のカリキュラムと異なって、ほぼ毎日 音楽の授業があります。(就学年齢は日本と同じ6歳。けれど 8年生までが初等教育。
音楽に特に力を入れている『音楽小学校 music elementary school』と 『普通小学校 normal elementary school』があり、前者は 週4-6時間 ほぼ毎日音楽授業があり、後者は進度 ゆっくり)

↓ 小学校1年生、音楽の教科書。最初からト音記号や5線譜・・使いません。

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けれど、音楽小学校に進んだからといって、全員がプロ演奏家、音楽家をめざしているわけでもなく、首都Budapest(ブダペシュト s=シュ、と発音)から離れた 地方でも、中央から派遣された 優秀な教師が、普通学校の中から逸材を見出すと、父兄の経済的負担少なく、中央で更に高等教育を受けられるようになっているようでした。国が小さく、隅々まで中央の「目」が行き届いていたこと、当時の「東欧」で、優秀な人材を発見、育成し、国際レベルで活躍できる人財は、国外へ出て外貨の稼ぎ手にもなってもらおう、という、お国事情もあったように感じました。音楽のみならず、旧東欧諸国、スポーツでも社会主義国家ならではの、国をあげて育成、サポート体制は、当時の日本より進んでいたかもしれません。

1989年、ベルリンの壁崩壊以後、急速に旧ソ連、その傘下にいた東欧諸国は、次々と社会主義から資本主義国家へと、体制を変えていったことは、皆さん よくご存知の通りです。

(故)Dr.クララ・コーカシュの、音楽心理学授業。座学ではなく、いつも身体全体を使い、日暮れ時でも電気はつけず、暗ければ キャンドルの灯をともして・・という、アメリカ南部、自然豊かな土地で長く生活、教師経験を持つ、彼女のパワフル、かつ人としての優しさあふれる授業は、強烈な印象でした。

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正直に書くと、私が当初 留学したいと考えていたのは、ハンガリーではなく、USAでした。当時、まだ日本では取得できなかった 音楽療法士(music therapist)の資格を目指そうかな?と 考えていたのです。

まさか!音楽教育の教科書に 数行書いてあっただけのハンガリーの音楽教育を、自分が 奨学生として 勉強しにいく、などということは 全くアタマの片隅にもありませんでした。ホント、人生って 何がどうなるかわからない~!
でも、行ってみたら・・・その授業内容のレベルの高さに 最初は唖然、ぼー然!

教えてくれる先生方は 全員ハンガリー人のトップレベル音楽家、音楽教育家。
私が留学した年は、特に人数が少なく、先生方が10名に対して、途中出入りがあっても、学生数の方が ひと桁で少なかった(^^;)
今、考えれば、なんという贅沢な授業! ほとんど2、3人の小グループレッスンか、個人授業。
レベルの高い課題の宿題が、どの授業からも出されて、遊ぶ時間はないほど勉強しました!

こんなに音楽に没頭した(せざるを得ない!) 濃〜い1年間は、私の音楽観も人生観も変えるほど 貴重な経験になりました。

↓ スコアリーディング(読譜)の個人レッスンに使った 教科書のひとつ。
中身は、これから 少しずつご紹介していきますね。

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ハンガリーから帰国後、どうしたの?

 

帰国後・・・留学前から お世話になっていたT先生が、某私立学校の課外教室でハンガリーの音楽教育を 実践しておられて、すぐに見学に行きました。

帰国数日後だったので、今も はっきり覚えていますが・・・
ハンガリーで うまくいっている音楽教育を 何から何まで そのまま日本版、として実践するのは 無理があるなぁ~ というのが、失礼ながら 私の印象でした。

当時、社会主義体制最後の時代だったハンガリーと、いわゆる「西側」に属し、ありとあらゆるジャンルの音楽が 氾濫している日本。

その中で、日本の「わらべうた」だけを 題材にした授業は、ハンガリーでずっと見聴きしてきた 子どもたちの様子とくらべても、私の眼には、少々「無理やりやっている感」が 垣間見えてしまって、何だか 心から楽しんでいるように見えず・・。
その授業担当していた T先生のアシスタント役になれたのかもしれないけれど、私は T先生とは別な道を行こう・・と思いました。生意気だったな~(^^;)

帰国した夏休み。勉強してきたことの国際シンポジウムが、日本、札幌で開催されました。ハンガリーにいる時からわかっていたことで、私は↑の写真、クララコーカシュに頼まれ、彼女の生徒さんたちと泊まり込み撮影にまで行って作った🎥ビデオテープを抱えて札幌に飛んだのですが・・何と、ハンガリーと日本の電気事情の違いで再生不能。私が依頼されていた プレゼン、ここでできなくなりました(TT)→ 主催者の教授と この件でケンカしちゃったり。
ボランティアで 海外の先生方のお世話、いくつかの授業やスピーチの通訳要員の一人として、2週間も札幌にいましたが・・観光するヒマなかった(^^;) ロンドンへ帰る女性の先生を成田までお送りして シンポジウムの仕事は終わり。

東京で、音楽というより、英語を使った仕事をしながらも いつも音楽のことを考えていましたが、当時の日本の公立学校にも、ハンガリーの音楽教育システムを、そのまま取り入れるのは、すぐにはムリ、、と判断。

じゃあ どうしようか?

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結婚前、結婚後、私は実家や自宅で、近くの生徒さんを教えていました。

年齢もまちまちだけれど・・・自分の息子たちと 同い年の生徒さんが 一度に何人も来てくれた時は、この「真っ白なキャンバス」のような子どもたちに、
楽しくのびのびと 音楽を楽しんでもらえるようにしたい!

そのために、自分が 今まで学んできたことを、彼ら、彼女たちに合わせて、臨機応変にアレンジして、レッスンに使おう、と決心。

小さい子どもたちが、ひとつのことに集中していられる時間は とても短い。

ピアノを習いたい、ヴァイオリンを習いたい、と 来宅されても、親御さんともとことん話をします。
楽器レッスンに集中できるまでの初期段階は特に、音楽の基礎体力というべき、力を総合的に 自然に身につけていくことが大切と・・納得していただける方を教えてきました。
聴く、歌う、読み、書き、打楽器も含め、さまざまな手立てを準備して、小さな子どもたちが飽きないようにレッスンを組み立てる。様子をみながら、その場で、内容、順序を臨機応変に変えてみたり、学んだことを実践に応用して今に至っています。

今後、私が伝えていきたいこと

 

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私が 長年、自分の生徒さんたちに、試行錯誤しながらも、レッスンに使ってきた さまざまなアイデアや、身近にあるもので すぐ作れる小道具など・・・
このブログの 音楽教育編で、全てを公開していきたいと思っています。

今、現役で 教えておられる個人教室の先生方や、音楽愛好家の方。
生徒さんだけでなく、ご自分自身も・・
音楽の読み書き、聴きとりから、より高度で身に着けると、ほかのことにも応用のきくワザなど。
もしかしたら、まだ経験がなく、試してみたいな・・という小さなアイディアが見つかるかもしれません。

私のアタマと心の中にあるもの、「これから!」の方に、少しでも お役に立てたら 幸せです^^♪

 

 

 

 

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音楽教育、指導法、理論系、一見難しそうに見えることが好きで得意な音楽家です。ヴァイオリン、ヴィオラ、ピアノを弾き、歌います^^♪ 音大卒業後、不思議なご縁で 1年間、ハンガリーに給費留学。 音楽の全てを 根本から鍛え直し、素晴らしい音楽教育法も学びました。 帰国後、結婚 子育てしながら、合奏団やオーケストラで演奏活動。 自宅の生徒さんたちには、それまで学んできた知識、教育法を 生徒さんひとりひとりに合わせてアレンジ、個性を大切に教えてきました。 1999年に急性心筋梗塞で 一時、音楽活動を休みましたが、2001年から再開。 07年に結成した女性4名の演奏ユニット「LIEBE(リーベ)」の ヴァイオリン奏者として、介護、福祉、医療の現場へ訪問演奏、チャリティコンサートの企画、実施。幼児連れのママ向けコンサート、近年は高齢、認知症、障がいのある方たち向けの音楽プログラムの選曲、時短練習法など、経験に基づいた オリジナルな方法をご紹介します。
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